
「Hridaya Bodywork」という表現は…
単なる「ハートに触れる」ではなく、
“存在の源泉と響き合うような触れ”
“内奥の静けさに帰還する触れ”
Hridaya Bodywork
静けさに還る触れ
Hridaya Bodywork(フリダヤ・ボディワーク)は、
身体を通して「内なる静寂」に還るための、
瞑想的な身体へのアプローチです。
ここでのボディワークは、
単なる筋肉の調整や構造的な施術ではありません。
身体を入口として、身体を超えていく――
静寂へと向かう“霊的な前奏(プレリュード)”として
位置づけられます。
触れることは、癒しの技法ではなく、
静寂への入り口であるかもしれません。
Hridaya Bodywork では、
クライアントの身体の深部にそっと出会いながら、
ともに「今ここ」に沈んでいくことを大切にします。
治そうとする意図を手放し、
評価せず、解釈せず、
ただ、そこに在る緊張や感覚、
静けさと共にあること。
それは、アドヴァイタ哲学が語る
「ただ在ること」と響き合う、
シンプルで深く、
存在そのものに触れるためのワークです。
心身の鎧がほどけていくとき、
それまで覆い隠されていた
“霊的な中心”――Hridaya(हृदय)が、
静かに、その輪郭を現していきます。
静寂のなかに還る触れ。
名もなき気づきが、そっと生まれてくる場。
それが、Hridaya Bodywork の本質です。

1.Hridaya – 霊的な中心
Hridaya とは、サンスクリット語で
「心臓・心・中心」を意味し、
ラマナ・マハルシはこれを
“真の自己(True Self)“が宿る場所として
語りました。
それは肉体としての心臓ではなく、
右胸の奥に感じられる霊的なハートであり、
「私は誰か?」という問いが沈静し、
自己と世界の境界が溶けていく
静寂の源泉です。
Hridaya は、近代仏教においても
『般若心経(Hridaya Sutra)』として登場し、
空性の直観と深く結びついています。
2.身体を通して身体を超える
ジニャーナ・ヨーガやヴェーダーンタでは、
身体との同一化が苦悩の根であるとされます。
しかし、それは身体を否定することではなく、
身体に囚われず、
身体を透明に通過する視点への移行を意味します。
Hridaya Bodywork は
この思想に立脚しつつも、
身体を完全に受け入れることによって、
身体から自由になる道を示します。
身体が調律されると、呼吸は深まり、
無意識の筋緊張が溶け、
自己と他者を隔てていた防衛が
柔らかくなっていきます。
その結果、静寂と明晰さが
自然に立ち上がってくるのです。
3.東洋的身体性と大地性
日本文化において、
自己の中心は「肚(はら)」にあるとされます。
それは大地につながる知恵であり、
仏教や武道、芸道においても
「肚に落ちる」「肚が据わる」といった言葉に
結晶しています。
Hridaya Bodywork は、
この日本的霊性としての肚と、
インド的霊性としてのハート(Hridaya)との橋を
架けようとする試みでもあります。
肚:地に根ざした静寂
Hridaya:天に向かう静寂
天と地をつなぐ身体の中心線(中軸)に、
静寂が響く
4.Undoing/UnBecomingという方向性
このBodywork は、
何かを「する」ための技術ではなく、
過剰な努力・緊張・同一化を
手放していく方向性に開かれています。
あなたの中で何かが
「溶けていく」「鎧が剥がれていく」時、
自然と姿勢が変わり、呼吸が変わり、
心が静かになります。
それは、表現としての身体を活性化する人にとっても、
精神性を深めたい人にとっても
共通の基盤となります。
積み重ねてきたすべてが、
今、静かにほどけていく。
そしてそのほどけの中に、
なぜそれらが必要だったのかが、
言葉のないままに、深く理解されていく。
この感覚こそが、
Hridaya Bodywork の本質にある静かな洞察です。
5.「触れる」ことは、「祈る」ことに近い
このBodywork において、
触れることは操作ではなく共鳴であり、
治すことではなく聴くことです。
筋肉のどの層が出会いたがっているのか、
どの緊張がもう必要ないと訴えているのか。
身体の声に静かに耳を傾けることで、
本来のリズムと静けさが自然と戻ってくるのです。
終わりに
Hridaya Bodywork は、目的地ではありません。
それは、身体の奥にある静寂へと向かう
「帰路(帰る道)」です。
このBodywork を通して、何かが“起こる”のではなく、
ただ「在る」ということが、そっと顕れるような――
そのような場と時間を、
共に育んでいけたらと思います。

Hridaya Bodywork
深く触れ、静寂へと還るために
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【深部からほどけてゆく静寂】
ヨーガをしている方なら、
シャバアーサナで「思うように力が抜けない」
という体験に覚えがあるかもしれません。
実は、私たちは日々の営みのなかで、
誰もが無自覚に心身へ緊張を強い、
息を詰めながら過ごしています。
その負荷は表層の筋肉だけでなく、
呼吸や姿勢を支える深部の構造にまで刻み込まれ、
やがて「常に力が抜けない」という習慣と
なっていくのです。
Hridaya Bodyworkは、
静寂のなかで施術者が
受け手の身体に潜む緊張の層に出会い、
そこに共鳴し、見守り、待つことによって、
緊張が自ずと溶けていく場をひらきます。
そのとき、
施術者と受け手の双方が同じ緊張に気づき、
同じ静寂に耳を澄ますように、
それを静かに意識化していること自体が、
溶けていく契機となるのです。
それは「解そうとする行為」ではなく、
意識が緊張へと向けられ、
共鳴のなかで自然にほどけてゆく出来事です。
全身がゆるみ始めると、呼吸は深まり、
心と身体の境目がやわらいでゆきます。
この経験は、
一度きりの特別な瞬間ではなく、
日常のなかでふと訪れる静寂の可能性を
広げてくれます。
そして瞑想を実践する方にとっては、
「楽に座る」ことを支える土台として、
内奥への旅をより安らかに導くのです。
Hridaya Bodyworkは、
丁寧に緊張と出会いを重ねていく営みです。
そのため、一度のセッションで
全身に触れることを目的とはしていません。
むしろ、ひとつの層に静かに寄り添うことから、
深い変容の扉が開かれてゆきます。
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【瞑想的ボディワークの誤解を超えて】
Hridaya Bodywork は、
「内なる静寂」に還るためのボディワークですが、
その触れは決して“優しく撫でるだけ”のものでは
ありません。
多くの人が「瞑想的なタッチ」と聞いて想像するのは、
軽く、柔らかく、刺激の少ない施術かもしれません。
けれど実際には、存在とつながるために
必要な深さに誠実に届いていくタッチが、
ここでは大切にされています。
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【深層の身体と対話する】
私のタッチは、全身の深部組織、特に消化器の平滑筋、
肚とハートをつなぐ横隔膜、
そして首の深層筋の緊張層などに丁寧に
アプローチしていきます。
それは、単なる構造的なリリースや
リラクゼーションではなく、
「マインドの活動を鎮め、エネルギーを下降させ、
ハートと肚の統合へ導く」ための、
繊細かつ明確な意図をもったボディワークです。
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【32年の実践がもたらした変容】
32年以上にわたり、
数万人に対する深部組織へのボディワークと
ボディサイコセラピーを提供し続けるなかで、
私自身の内的な感受性と
触れている層の響きに
意識をとどめる感性と集中もまた、
長年の実践のなかで静かに育まれてきました。
※詳細は以下のページをご参照ください。
HRIDAYA に至る道のり
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【施術ではなく、共鳴としての在り方】
Hridaya Bodywork の本質は、
施術者がクライアントをリラックスさせようと
“操作する”ことではありません。
むしろ、施術者である私自身が、
深い瞑想状態のうちに在ることで、
受け手の深層に共鳴が起こり、
そこに静けさが広がっていくのです。
それは、ある種の“意識の場”に
包まれるような体験であり、
Swami Anubhavanandaji が
私のボディワークを受けた際に語った
「これが瞑想だ」
という一言にも、その本質が滲んでいます。
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【静寂へと導く、触れるという実践】
Hridaya Bodywork とは、
ただ身体を整えるものではなく、
触れることを通じて、深層の静寂と再び出会う、
静かな実践です。
脳波測定器の結果から
身体に触れながら、
施術者の脳波は深い静けさへと沈んでいく。
右脳ではなく左脳のデルタ波が活性化するという
稀有な現象は、
Hridaya Bodywork が単なる技法ではなく、
静寂そのものを共有するプロセスであることを
示しています。
Hridaya Bodywork のセッション中に、私自身(施術者)の脳波をかなりの回数、脳波測定器(アルファテック7)で計測したところ、極めて興味深いパターンが一貫して観察されました。
一般に、身体を扱うワークや瞑想においては、右脳(直観的・非言語的処理に関与)の活動が強調されることが多いとされています。ところが Hridaya Bodywork のプロセスでは、右脳の顕著な活性化は見られず、むしろ左脳(言語的・分析的処理に関連)の活動が深まるという、通常の想定とは逆の傾向が現れました。
さらに時間の経過とともに、左脳におけるデルタ波(0.5~4Hz)の顕著な増加が記録されました。デルタ波は通常、深い睡眠時に優位になる脳波であり、覚醒中にその活動が高まるのはきわめて特異な現象です。脳波研究の知見から考えると、覚醒下でデルタ波が優位になる状態は以下を意味します。
•深層での寛ぎと自律神経系の沈静化
•内受容感覚(身体の内側の感覚)処理の強化
•思考活動の静止と、静寂的意識状態への移行
•回復・修復プロセスの活性化
一般的に、閉眼から開眼に移る瞬間には、誰にでも一過性のデルタ波出現が観察されることがあります。これは視覚入力の切り替えに伴う脳幹・視床レベルでのリセット反応であり、特別な現象ではありません。
しかし、通常はその後ただちにアルファ波やベータ波が優位となり、外界に注意を向ける覚醒モードに移行します。
一方、Hridaya Bodyworkの施術者では、開眼後もデルタ波が持続的に優位に保たれることが確認されています。これは、外界への覚醒と深層の静けさが同時に存在する特異な意識状態であり、長年の訓練を通じて可能となるものと考えられます。
このことから、Hridaya Bodywork において施術者は「言葉や概念による理解」から離れつつ、身体感覚を左脳的にモニタリングする形で深い静けさに入っていくと解釈できます。すなわち施術者自身の神経系が鎮まり、深層意識が顕在化するプロセスが生じているのです。
この結果は、「ボディワークを行う施術者の意識状態そのものが、クライアントに働きかける『場』を形づくっている」ということを神経生理学的に裏づけるものといえます。単なる手技の提供ではなく、施術者が自らの存在を通して意識の深層にある静寂に触れていることが、クライアントに伝わり、共鳴を生む。これが Hridaya Bodywork のもっとも大きな特徴です。
言い換えれば Hridaya Bodywork は「技術によって何かを操作する」ものではなく、施術者とクライアントが共に“ハートの中心(Hridaya)”へと帰っていくプロセスです。その過程で、思考や言葉を超えた次元での交流が生まれ、互いの存在が深い静寂に支えられていきます。
この「右脳の沈静化」と「左脳デルタ波の顕著な活性化」の組み合わせは、従来のボディワークや瞑想研究でもほとんど報告されていない、Hridaya Bodywork に特有の神経生理学的特徴と位置づけられます。科学的に見ても、哲学的に見ても、そこに浮かび上がるメッセージは同じです。
すなわち、「深い静けさこそが、人を癒し、目覚めさせる」ということです。
上 段:右脳
下 段:左脳
桃 色:ベータ波
黄 色:ファースト・アルファ波
黄緑色:ミッド・アルファ波
水 色:スロー・アルファ波
紺 色:シータ波
灰 色:デルタ波
| 脳 波 | 周波数帯 | 特 徴 | 心理状態 | 補 足 |
| β波 | 約13〜30Hz |
高覚醒・課題遂行・論理的処理 |
集中、注意、問題解決。過剰だと緊張・不安・ストレス |
健全な集中でも出現するため、「不安の波」と単純化しないことが重要 |
| ファースト α波 | 約10〜13Hz |
集中を伴うアルファ |
やや緊張した集中状態、課題に取り組んでいるとき |
スポーツや演奏で「ゾーン」に入る直前に観測されやすい |
| ミッドα波 | 約9〜11Hz | リラックスと集中のバランス |
落ち着きながら集中している状態(フロー) |
創造的活動や安定した覚醒時に多い |
| スローα波 | 約8〜10Hz |
内受容的・休息的覚醒 |
まどろみ、深いリラックス、ぼんやりとした休息 |
瞑想や半覚醒時に強まりやすい |
| シータ波 | 約4〜8Hz |
直観・イメージ・内的体験に関連 |
浅い睡眠、夢、瞑想、トランス状態 |
創造性・直感力の活性化と関係が深い |
| デルタ波 | 約0.5〜4Hz |
最も低周波。回復と無意識 |
深い睡眠、身体の修復、意識の休止 |
覚醒下で出現する場合は「深層でのリラックス」や「身体回復プロセス」の活性化を意味する。また、意識の深層における静寂を示す比喩としても解釈される。 |
【メディア掲載より】
29年前、産経新聞にて紹介されたボディワークの原点
Hridaya Bodywork の原点となる取り組みは、
1990年代からすでに評価されており、
29年前、産経新聞(全国紙夕刊)にて、
私のボディワークが
「心と身体に深く触れるアプローチ」として
紹介されました。
当時の記事では、単なる施術や健康法ではない、
「心と肉体の対話」としての本質が語られています。
その精神は今も変わることなく、
Hridaya Bodywork の中核として息づいています。
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「出典:産経新聞全国版 1996年11月20日 夕刊」
