
プロドラマーから、身体と意識の探求へ
20代前半は、プロドラマーとして武道館、NHKホール、中野サンプラザなどで演奏する日々を送りながらも、心身両方に働きかけるものへの興味を抱き、20代後半には、心身に働きかけるボディワーク、ホロトロピック・ブレスワーク(呼吸法)、瞑想など、自己変容を促すさまざまなグループや実践に参加し、自らの内的変容に深くコミットしていきました。
山と自然の中での身体との再会
1992年、30歳でロルフィング創始者アイダ・ロルフに直接トレーニングを受けた心理学者であり上級ロルファーでもあるマーク・カフェル博士に師事。南アルプス山中の過疎集落にて1年間の合宿トレーニング、さらに北アルプス山中での3ヶ月間の上級合宿トレーニングに参加しました。自然の静けさの中で心身が緩み、身体構造のアラインメントが整っていく体験を経て、1993年より東京にてシン・インテグレーションの個人セッションを開始しました。
深層への道と”内なる静寂”の誕生
1994年より、心身統合をより深く探求するために、バイオシンセシス(生命を統合するボディサイコセラピー)の5年間にわたるトレーニングに参加しました。この過程で、肚に満ちてくる生命エネルギーとともに、深い静寂と平安を体験をし、「波一つ立たない湖面のような静寂さ」「空っぽなのに満ちている感覚」「深いくつろぎと平安」が訪れ、それを維持できるようなワークを提供したいという思いから「内なる静寂(Inner Silence)」という屋号で活動を始めました。
現在64歳(2025年現在)ですから、人生の半分以上、私はこの「内なる静寂」に魅せられ続けてきたことになります。
BIPSの設立と、日本的霊性への傾倒
バイオシンセシスのトレーニング修了後もアシスタントとしてに関わり続け、2006年からは複数の学派を統合するBIPS(バイオインテグラル・サイコセラピー・スクール)を設立。2025年12月までの間、4年間のセラピスト養成トレーニングや公開ワークショップを開催してきました。
その中で、国内トレーナーとして教える傍ら、西洋文化から学んできた音楽、ボディワーク、ボディサイコセラピーを日本文化に融合させる道を模索し、日本的霊性が息づく「内なる静寂」に触れられる環境を探していました。2008年、新潟県上越市の中山間地域に佇む再生古民家に出会い、越後奥寂庵(Inner Silence Hermitage)と名づけ、厳しい自然の中で農作業や除雪作業を行いながら、「日本人の質とは何か?」という自己との対話を深めていきました。
国際的な認定と、転機となる除雪作業後の体験
2018年には、自らが培ってきた手法と日本的霊性を国際的な文脈で活かしたいという思いから、国境、人種、宗派、学派を越えて心理療法を社会貢献のために用いる世界各国の心理療法家や精神科医が属する、ウィーンに本部がある国連NGO「World Council for Psychotherapy(WCP:世界心理療法協議会)」に申請を行い、第三者機関による厳正な審査を経て、WCP公認心理療法家(正会員)として認定されました。
しかし人生とは不思議なものです。翌2019年1月、社会貢献への意欲が失せる出来事が訪れました。雪深い古民家「越後奥寂庵」での除雪作業後に突然訪れた体験が、私の人生の転機となったのです。この体験は言語化が難しいため、直後に書き留めたブログ記事を原文のまま掲載します。
2019年1月29日
昨日は一日、地元の方と一緒に、裏側の2階屋根の雪下ろしと雪掘りを日が沈むまで行いました。全身汗びっしょりになるほどの重労働でしたが、屋根を傷めずに済み、ホッと安心です。ようやく2階のデッキから出入りが出来るようになりました。
作業を終えて屋内に入り、汗で身体を冷やさないように石油ストーブを付けるために、ボイラー室にある大型タンクからポリタンクに灯油を移している時に、不思議な感覚に襲われました。
「いろいろな出来事や関係性があってもそれらは全て幻であり、人生で成し遂げてきたことは全て必要がないことだった。大事にしてきたグラウンディングをすることや奥寂庵で過ごすことさえも必要なかった。今、額にある意識を得るには、全てが必要のないことだった」というような感覚でした。「人が死ぬ直前にはこのような感覚に陥るだろう」という感覚とともに、内側から湧いてきたのです。このようなことは、外側からの知識(情報)としては書物を通じて知っていたことではありますが、内的な感覚として深いところから湧いてきたのは初めてでした。しかも自分の意図とは関係なく。というのは、その時私が意図していたのは、灯油をこぼさないように心掛けていたことだけでしたから。
その感覚は、私の意図とは関係なく湧いてきて全身を包み込み、徐々に薄れていきました。薄れた後に、意識的にそのことにフォーカスしようとしても湧いてきません。そういう意味では自力で得られる感覚ではないのでしょう。今、忘れないように言語化しようと試みていますが、そうすればするほどその感覚が失われていく感じもします。あのような感覚の方が幻のようにも思えてくるほどです。
4日間、危険と隣り合わせの状況で、五感をフルに稼働させながら、汗びっしょりになるほどの重労働をし終わった後に、その感覚がやってきたことから、ある意味、苦行によって特異な意識状態になることと似ているのかも知れません。しかし、次回、同じようにハードに除雪作業をしても、その感覚を得ようと意図すればやってこないでしょう。ただ、無駄な努力かも知れませんが、額にかすかに残っている身体感覚に意識を向ける機会を持とうと思います。
2019年2月3日
先日の不思議な感覚について、自分の投稿を読み返してみて、もしかしたら誤解を生むかも知れないと思い、少し書き足します。
「今、額にある意識を得るには、全てが必要のないことだった」という感覚は本当にリアルなもので、この文面で完結しています。ただ、お伝えしたいことは、この文章を日常の思考を通して読むと、「額にある意識を得るには、グラウンディングも奥寂庵で過ごすことさえも必要ないんだな」と捉えられますが、それは完全にそうなのですが、ある意味、そうではない感覚でもあるということです。「全てが必要ない」という中に「全てが必要である」が包含されていたというか、完全な否定であり同時に完全な肯定でした。否定と肯定が交互に現れるのではなく、同時に存在している感じでした。「否定即肯定」です。思考では矛盾していますが、あの感覚のなかでは調和しているというより一つでした。例えば「グラウンディングは完全に必要であり、同時に全く必要のないもの」なのです。また、「主観即客観」「日常の普通の意識即不思議な感覚」という感覚でもありました。そこには矛盾がないのです。上手く言葉にはなりません。思考では理解できないもののようです。混乱するような説明になってしまい、申し訳ありません。まだ言葉としてフィットしないので、この投稿は後ほど削除するかも知れません。
もう一つ、これは自分自身への覚え書きです。親鸞聖人の法語を唯円が記述したとされる歎異抄のなかの「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」の「親鸞一人」の感覚が、親鸞聖人が言いたかったこととは違うかも知れませんが、自分の感覚のなかでは感知できた部分もありました。鈴木大拙氏は、親鸞聖人は越後の地で霊性を深めたと言及されましたが、その越後でこのような体験が出来たことは、とても感慨深いです。
微かな気配を感じられたことから、やっとスタート地点に立った気分です。

この体験を通して、般若心経の「色即是空 空即是色」の直感的理解がもたらされました。この意識状態が続くことはありませんでしたが、ひとつだけ明らかな変化がありました。それは、それまでの「身体心理療法を啓蒙したい」「学びを深めたい」「社会をよりよくしたい」という意欲や衝動が、内側から湧き上がらなくなったということでした。
林住期への移行とヴェーダンタとの邂逅
その意欲と衝動の消失を、当初は抑うつではないかと疑いましたが、エネルギーや意識の質からはそうではないと分かりました。現実的の役割を果たしながらも、過去のパラダイムにおける推進力が失われた代わりに、2015年から友人の縁で出会ったヴェーダンタ哲学のマスター、Swami Anubhavanandaji の講話が心の深くに響くようになりました。
今にして思えば、これはインドの伝統的な人生観における「四住期」のなかの「林住期」への移行だったのかも知れません。すなわち、社会的責任や社会貢献を担う「家住期」を経て、世俗的義務から引退し、瞑想的生活へと向かう時期です。トランスパーソナル心理学の文脈で言えば、心身統合と社会のなかで能力を発揮することに重きを置く「同一化」のプロセスから、明け渡しの「脱同一化」のプロセスへと自然に移行したとも言えるでしょう。
Hridayaへ――“霊的中心”への静かな帰還
2025年12月をもって、32年間携わってきたボディサイコセラピー・トレーニングが一区切りを迎え、2026年には私自身も65歳という節目を迎えます。これを機に、心理療法の臨床活動を段階的に縮小しつつ、心理療法は対人支援の専門職を対象とした指導や教育を中心に据える方針です。今後は、心理療法で培った経験を瞑想的手法へと統合しながら、「HRIDAYA SPACE」の活動を人生の軸として歩んでまいります。
その背景には、かつて越後の雪深い地での除雪作業後に訪れた、般若心経(Hridaya Sutra)の「色即是空 空即是色」に対する直感的理解があります。それは一時的な体験ではあったものの、確かに触れた感覚であり、その感覚が日常において失われたとしても、意識を向け直すことで再び、二元性を超えた全体性に還ることができる――そう信じているからこそ、「HRIDAYA SPACE」と名づけるに至りました。
長文をお読みくださり、ありがとうございました。伝統的ヨーガの実践を経ずに、西洋的アプローチの心理療法と日本的霊性の探求を続けてきた私が「HRIDAYA」という名を揚げることに、違和感を覚える方もいらっしゃるかも知れません。そのため、ここに至るまでの道のりを率直に記させていただきました。
私は何かを達成した人間ではありません。今なお、「在ること」に導かれながら生きている、ごく普通の一人の人間です。
それでも私がこの名を用いることを決めたのは、ラマナ・マハルシのこの言葉に背中を押されたからです。この言葉を持って「HRIDAYA に至る道のり」を終わりにいたします。
”ハート(Hridaya)を探し求める
その静かな想いそのものが、
すでにハートそのものである。”
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